自民党市議団・大分市議会議員 工藤てつひろ
責任を持っての行動、新しい大分−工藤てつひろ
 
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工藤てつひろの近況報告
本日は晴天なり(コラム)
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 初めまして、工藤です。今回の大分市議選挙では、多くの皆さんにお世話になりまして本当にありがとうございました。コラムという事で不慣れではありますが、がんばってみますのでヨロシク!
 まずは、なぜ市議会議員選挙に出馬したのかについてですが、実は、こういう言い方もナンですが、私もようく分からないうちに話が進んでいたようです。
 大分商工会議所青年部という団体を知ってますか? 七夕祭りの府内戦紙を運営したり、大分のまちづくりなどに頑張って取り組んでいるグループです。私はその会長を、2年間(平成11&12年度)務めていました。で、我が青年部では、今までOBである林野先輩が市議として3期出ていらしたのですが、体調がお悪いとの理由で出馬されなくなったとのこと。そこで、「誰か青年部の若手を」との声がOBや現役の間で上がり始めたそうです。
 もう随分前のこと、飲み会の席で青年部の日名子、甲斐信、高見らが、「哲ちゃん、会長が終わったら、次は市議選が待っちょんけんな!」などと冗談を飛ばし、私も「オレが市議になったら、大分も終わりじゃあ! ガハハハ」と笑い飛ばしていたこともあったくらいです。 ホントに当時は市議選に出馬しようなんて、考えてもみなかったことなのです。ですから、その?青年部の若手?とやらに自分が抜擢されるなんて、夢にも思っていませんでした。
 ところが、それがだんだん選挙が近づくにつれ、青年部のみんなの気持ちがホンキになり、「工藤を担ごう!」と決断、「みんなで応援するから出てくれ!」と真剣に言われ始めました。私もどちらかというと木に登りやすいタイプなので、これだけ期待されるとその気になってしまい、ついには「よおぉし! オレが大分をもっと良くしてやる!!」と、てっぺんまで登りつめてしまった、というわけです。
 商工会議所青年部の会長として日本全国の会議所青年部の方々との交流がありましたが、いつも大分と比較して各地を見てきました。「この市のこういうところを見習うべきだ」とか、「大分のココは自慢できる」とか。今までの各地の若者たちとの交流や、37年間住み慣れた大分市での生活の中で、小さな疑問や不満は少なからず私も持っていました。それは、他の人たちもほぼ同じ意見だと思います。ただ私たち若手が意見を言う場がないだけです。成りゆきとはいえ、こんなチャンスはめったにないと思い、結果、出馬することにしたのです。
 それからがタイヘンでした。両親、会社を説得するために青年部の10数人が押しかけてきて、なんとか了解を取りつけました。両者曰く、「さすがにみんなの熱意に負けた」とのこと。そして最後に妻へ、「市議選に出るけん!」の一言で納得してもらいました。妻にしてみれば、まさに青天の霹靂で、怒られて泣かれてしまいましたが……。
 それが、去年の10月頃。選挙の5ケ月前と、他の人に比べると半年ぐらい遅いそうです。
 資金なし! 時間なし! 考えなし!
 まさに自分の性格そのもので、「まぁ、頑張ればなんとかなるさ!」というような気持ちでした。周りの人は随分心配していたそうですが……。
 そんなわけで、ひょろひょろの今にも折れんばかりの木に登ってしまった私が、木に登って安定して大分の隅々まで見渡せるよう、幹を太くて丈夫なものにするため、長くて短い戦いが始まったのです……。
 ということで、次回へ続きます。

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